もう、いい加減、自公政権にはダメ出しを!

 菅政権になって、はじめての通常国会が開かれ、施政方針演説がなされた。この演説原稿は官僚が作文したもので、菅首相はただ読み上げるだけであるのに、何度も言い間違えるなど、首相としての、否、政治家としての資質を欠いていることが、はた目にも明らかとなる無残なものであった。

 そもそも、コロナ感染が拡大している中で、秋の臨時国会を閉じ、GOTOキャンペーンだけはゴリ押しして、コロナを蔓延させた責任について何ら触れることがなかった。しかも、菅首相が行った、日本学術会議の会員任命拒否問題はなおざりにされ、や安倍前首相の桜を見る会前夜祭の費用補填問題、河井前法相夫妻の選挙違反問題など自公政権の腐臭についても何ら解決策を提示しようとしない。菅氏が、今の職にとどまること自体が、日本の最大の緊急事態と言っていい状況にあるのだ。

 日本の政治組織は、小泉政権時代に良心的部分が崩され始め、安倍政権の下ではまともな部分は大部分が破壊されてしまった。今からこれを再生させることは、困難なことであろう。しかし、諦めることはできない。投げ出すわけにはいかない。

 保守とか革新とかのレベルではない。まず、知性と理性を取り戻した政治が必要だ。そのためには、自公政権を退治するほかない。

いまだ届かぬアベノマスクと給付金請求書

 もう6月も中旬である。コロナ対策として安倍首相の発案でなされた「全戸2枚の布マスク」は、いまだウチには届かない。(私の事務所には10日ほど前に届いたし、近隣の方に聞いたら届いたというのだから、ウチだけがすっぽかされているのかもしれない。もっとも、今となっては何種類ものマスクがスーパーやドラッグストアに山積みされ、価格も一時と比較すれば、値崩れしているのだから、アベノマスクをどうしても欲しいなどというのは、よっぽどの

アベ信者かマニアしかいないだろう。

 そして、10万円呉特別給付金であるが、これはいまだ申請書すら届かない。名古屋市に隣接するある市では先月中旬から申請書が送られ、6月上旬には振り込まれていたというのだから、名古屋市の出足の遅さはひどいというほかない。

 アベ政治というものの正体はとっくの昔にバレバレである。しかし、NHKをはじめとするマスコミは、国会の答弁でも安倍の無能・無知・虚偽をいかにスルーするかの報道姿勢であり、ネットはランサーズなどの影響があるのか、ネトウヨの誹謗中傷が真面目な言論を凌駕する勢いである。

 リベラル・革新勢力を支持する立場では何とも歯がゆい時代状況ではあるが、アメリカの黒人差別を許さない大集会や香港市民の自由を求める活動を支援し、また、それら運動に自身も励まされて、ポストコロナの時代に希望を見出していきたい。

緊急事態宣言の延長

 今日から緊急事態宣言の「延長戦」。5月末までは宣言継続で従前の制限が続くという。いつまで続く泥濘ぞ!津島の天王川公園のフジも知立無量寿寺のカキツバタも見ごろを迎えたというのに観に行くこともままならない。茶臼山の芝桜も今年は無理か。そんな呑気なことを言ってる場合ではない。中小零細業者は明日のいな今日の資金繰りにも窮する状況だ。それなのに、安倍首相の記者会見は相変わらずのプロンプター棒読みで、肝心の支援金の支払開始目途まで「8日」を「8月」と言い間違えるほどの緊張感のなさである。そして具体的な政策よりも精神論をふりかざし、第2次世界大戦中の「欲しがりません勝つまでは」の再来を強いる始末である。

 その安倍政権が居座り続けても、なお支持率がそれほど下がらないというのはどういうことか。加藤陽子東大教授が日米開戦について「それでも日本人は戦争を選んだ」と喝破したように、コロナ対策で「それでも日本人はゴミマスクを選んだ」になってしまうのか。

 今は、明治維新や第2次世界大戦の敗戦時と並ぶ時代の転換点であろう。明治の自由民権運動や戦後の民主主義の発展を思い起こし、市民の声が生かせる社会へと舵を切っていくことが必要だ。

 

今日はメーデー

 4月の下旬は小寒い日が続いたが、名古屋では昨日から夏日。今日から5月、半袖でも十分な暑さだ。これからはマスクを着けるのも暑苦しい季節だが、エチケットとして我慢しなければならないだろう。一日も早く新型コロナが終息してほしいと願うばかりである。

 今日はメーデー。労働者の祭典である。世界では、祭日にしている国も多いと聞くが、残念ながら、自民党政府の下では、「海の日」とか「みどりの日」なんてヘンな祝日は増えているのだけれど、由緒正しきメーデーが祝日になる気配はない。昭和天皇の誕生日に由来する「昭和の日」は引き続き祝日にしているが、労働者を祝うことなど今の支配層の念頭にはないのだろう。

 今年は集会もデモもないメーデーになってしまった。学生時代に参加した鶴舞公園でのメーデーは熱気に溢れていた。仕事に就いてからも毎年メーデーの集会には参加し、デモの後は、昼間からの懇親会(私にとって、昼にビールを飲むのは1年でこの日だけだ)、懇親会が終ったら映画でも見るか、スーパー銭湯にでも行くかして、完全休日にするのがメーデーの日の私のルーティーンだった。ところが、今年は、メーデー企画もないどころか、スーパー銭湯も映画館もすべて休んでいる。ネット情報ではyou tubeで中央メーデーの配信をやるみたいだからそれでも見てみるか。

 コロナ禍で緊急事態宣言が連休以降も延長される見通しで、中小零細企業は廃業・倒産が避けられない可能性が高く、そこで働く労働者の解雇、雇止めも続出する恐れがある。コロナによる死者よりも経済苦による自殺者の方が多くなるのではないかと危惧される。正に政治の出番である。それにしても、無能政権はあまりに頼りにならない!

アベノマスクはいらない

 466億円も予算計上して一世帯あたり2枚の布マスクを配るという、安倍政権の無能さを世界に示したアベノマスク問題。やれ、配布されたマスクに汚れや虫が入っていたとか、やれ受注先企業が実態のない幽霊企業じゃないかとか、ホント、ニッポンは終わっていると思わせるような展開である。

 ウチの近くのドラッグストアでは、4月上旬までは、午前10時開店に合わせてマスクを購入するために朝早く(午前7時ころ)から高齢者を中心に数十人の行列ができていたが、中旬以降は、売り方を変えたので、行列はなくなった。ウチでは、もともと2年前に罹ったインフルエンザの際に買って、使い残したマスクが一箱50枚ほど残っていたが、それも使い切ったので、女房殿が、手づくり布マスクを作り、これを洗濯しながら使い、また、ネットで50枚入り3000円ほどの使い捨てマスクを見つけたので、これを購入して先日、宅配を受けた。2年前と比べると5~6倍の値段だし、品質も前に使っていたもののほうがマシだが、背に腹は代えられない。

 ところが先週、名古屋の中心地栄に行く用事があった。錦通の交差点にあるドンキホーテを目印に待ち合わせをしたが、その際、ドンキの店頭でマスクを売っていたので、1パック3枚入りの洗えるマスクを300円で購入してきた。これも中国製ではあるが、布製ではなく使い捨てでもないし、なにより速乾性の素材なので夜手洗いすれば朝には乾いて、毎日使えるし、布マスクよりも顔にフィットする。しばらくは、これでいいかなと思う。

 次に、名古屋でまだ唯一と言っていいほどにぎわいが残っている大須に行った。地下鉄の上前津駅から大須観音駅まで、万松寺通や大須通を歩いただけだが、そこでナント4か所もマスクを売っている店を見つけた。ドラッグストアだけでなく、お茶屋さんや雑貨屋でも売っていた。おおむね1枚だと100円ほど、50枚入りだと3000円から4000円なので、一昔からみれば価格は急騰しているが、買えないほどではない。ある飲食店では「〇○○円以上ご利用の方にマスク1枚進呈」という貼り紙がしたあった。

 アベノマスクは返品騒ぎもあり、われらに届くのは1カ月くらい後か。その頃には、マスクの品薄も解消され、全くウイルス防御には役立たずの烙印を押された布マスクなど誰も着けないことだろう。

 

様がわりのゴールデンウィーク

 今日からゴールデンウィーク。例年ならどこもかしこも行楽客で溢れかえる季節だが、今年はおおかたの施設がお休みで、行くところがない。小池百合子都知事によれば「ステイホーム週間」でひたすら自宅に引きこもることが善良な市民ということのようだ。新幹線は空気輸送と化し、飛行機は大幅な減便。県をまたいでの往来はタブーとされ、よその県のナンバーをつけた車にはいたずらをされるということすら起きている。夏に行われるはずだったインターハイ(全国高校総体)や全中(全国中学生競技大会)もすべて中止。スポーツは軒並み中止で、スポーツ紙は紙面の穴埋めにも苦労しているという。

 こんな状態では、緊急事態宣言の期間延長はさけられないのじゃないだろうか。一方で、営業を自粛している個人商店などは忍耐の限界に近づいていることだろう。旅館や行楽地の商店、繁華街の店などどんどんつぶれてしまうのではないか。ましてや演劇や音楽、イベントなどは総崩れだ。

 安倍政権に今の非常事態を収拾する能力がないことは、アベノマスクの問題や too little too lateの金銭給付をみても明らかだ。しかし、それに代わる名前として「橋下」「小池百合子」「石破」などが挙がっているようでは、日本の未来はますます暗いと言えよう。

森英樹先生逝去

 元名古屋大学教授の森英樹先生が亡くなられた。当地の憲法運動の牽引者であり、今の憲法状況を見るにつけ、まだまだ活躍していただきたかったと思う。合掌。

 私が名古屋大学法学部に入学したのはほぼ半世紀も前のことである。当時の法学部の教授陣は公法系と民刑事系に分かれ、公法系は、革新陣営の学者が占めていた。

 憲法は長谷川正安教授。講義を録音して、それを後に出版するというスタイルだった。森先生はまだ30歳そこそこの少壮助教授だったが、一部、漫談のようにも聞こえる話はうまかった。ほかに行政法の室井力教授、国際法の松井助教授、それに「ソ連法」という授業があり、稲子恒夫教授が担っていた。政治学の横越英一教授は一度愛知県知事選挙に革新統一候補として出馬したことがある。

 当時の法学部は出席をとるということはなく、あんまり真面目に講義を聴いていたわけでもない私には「感想」を述べるほどの思いはない。記憶があるのは、長谷川先生が「右翼」「左翼」というのはフランス革命後の議会で革命を進める側が左に、アンシャンレジーム派が右側に陣取ったことに由来する、と言っていたこと、稲子教授が、スターリンはいろいろ批判されるけれども自らの子を大祖国戦争(第2次世界大戦)の最前線に送り出し、戦死をさせたことは、他の国の戦争指導者と較べて偉いというようなことを言っていたことくらいだろうか。

 「70年代の遅くない時期に民主連合政府を」とのスローガンからはや半世紀が経とうとしている。歴史は一直線には進まないけれど、後退しているような局面もあるけれど、それでも少しずつでも前に進んでいるし、進めていかなければならないと思う。